cf.
最判昭24・8・18(昭和24(れ)295 傷害) 全文
判示事項
一 刑法第三六條にいわゆる「急迫」の意義―刑法第三七條にいわゆる「現在の危難」の意義
二 公益のための正當防衞
三 國家的公共的法益の侵害等に對する私人の正當防衞行爲の限界
裁判要旨
一 刑法第三六條にいわゆる急迫の侵害における「急迫」とは、法益の侵害が間近に押し迫つたことすなわち法益侵害の危險が緊迫したことを意味するのであつて、被害の現在性を意味するものではないまた刑法第三七條にいわゆる「現在の危難」についても、ほぼこれと同様のことが云い得るわけである。
二 公共の福祉を最高の指導原理とする新憲法の理念からいつても、公共の福祉をも含めてすべての法益は、國家的、國民的、公共的法益についても正當防衞の許さるべき場合が存することを認むべきである。だがしかし、本來國家的、公共的法益を保全防衞することは、國家又は公共團體の公的機關の本來の任務に属する事柄であつて、これをた易く事由に私人又は私的團體の行動に委することは却つて秩序を亂し事態を悪化せしむる危險を伴う虞がある。それ故、かかる公益のための正當防衞等は、國家公共の機關の有効な公的活動を期待し得ない極めて緊迫した場合においてのみ例外的に許容さるべきものと解するを相當とする。そこで原判決の判示した具體的な客觀的事態情勢は、國家公共の機關(連合國の占領下にある現状においては、占領軍機關をも含めて)の有効な公的活動を期待し得ない極めて緊迫した場合に該當するに至つたものとは到底認めることができない從つてかかる事態の下においては、被告人の行動を正當防衞又は緊急避難として寛恕するを得ないものと云わねばならぬ。
三 防衞行爲が己むことを得ないとは、當該具體的事態の下において當時の社會的通念が、防衞行爲として當然性、妥當性を認め得るものを云うのである。そして、殊に國家的公共的法益に對する侵害等を私人が防衞する場合に、己むことを得ざるものとして當然許容さるべき範圍は、整備せる現在國家の機構組織の下において、必然的に比較的極めて狭少な限局されたものたるべきことは國家理論の歸結として何人も承認しなければならぬところである。